最善の精神【死の練習】

古代ギリシャに哲学の祖と呼ばれるソクラテスがいました。
彼はは、プラトンとの対話の中で、「真に哲学することは死の練習である」と述べています。
つまり、「死んだとして悔いはないか」と自問自答することが真理を求めることだということです。
この考えを将棋に応用してみましょう。
「負けたとしてやり直したい局面はないか」と考えてみるのです。
この思考法は最善の精神だと思います。
なぜなら、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という格言が表しているように、
負けることには必ず原因があり、しかも自分自身の着手が原因になっているからです。
例えば、「自由」という言葉も誤解されがちですが、実はもともと「自らに由来する」
言い換えれば「自己責任」という意味なのです。
負けたことは自分の責任だと考えれば成長の余地がありますが
環境や相手のせいだと思えば成長の余地は残されないでしょう。
結局のところ、工夫と改善を繰り返すことができた人、
この当たり前のこと、凡事を徹底することを厭わなかった人だけが
名人の境地に達することができると考えられます。
私が敬愛している羽生善治九段も初心者のころから
練習方法は今でもほとんど変わってないそうです。
まず、試してみたいことを発見したら上手くいきそうか検討してみて、
実際の対局で試してみます。そしてもっと上手くいくような方法を考えます。
これはまさに、凡事徹底や死の練習そのものです。
羽生九段が築き上げた永世七冠の実績は死の練習をしていたからなのです。

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